台所の押入れ写真公開(ごんおばちゃまの抜き9日目)

お片付けカレンダーでは、今日は、台所の押入れ収納を片付ける計画になっていました。今日もまた(寒い~気が重い~面倒臭い~~)うだうだ怠けたい症候群に支配されています。何が嫌だって・・広いのよ~大きすぎるのよ・・田舎の台所だから・・それに徳久利やお猪口がいっぱいあるのよ・・通夜や葬式・四十九日で必要には、違いないんだけど、それでも50個残しておけば良いかんじ。問題は、どれを残してどれを捨てるかだな。自分で買ったものではなくて・・家に代々伝わるものだと思うと本当気が重いです。

今日は、台所の押入れ収納を片付ける日

去年葬儀が終わってから見直したのでめちゃくちゃ汚いわけではありません・・でもなんとなく気が重い場所です。どうしよう。上半分と下半分、あるいは右側と左側に分けて片付けようか?と行動に移すまでしばし悩む私。

ふとカレンダーを見たら2/2は、台所の押入れ、2/18にとっくりとおちょこを捨てる計画にしていたので、左半分を片付けるつもり。(爺さんが手伝ってくれたので右半分を片付けました)。来週の週末不燃物の回収日に合わせて残り半分を片付ければスッキリしそうです。カレンダーにお片付けの計画を書き込んでも飽きっぽい性格なので計画倒れになると思っていました。でも私みたいにだらしなくてすぐに楽な方に流されたがり~たな女には、逃げ場がない良い方法だと思いました。

台所押入れ収納before after

「捨てたい」テンションが上がってるときと下がってるときがあります。物を捨てるだけが全てじゃないですが、不用品や余分なものを処分するとスッキリします。私の捨てたいテンションと爺さんの捨てたいテンションは、合致することはありません。今日は、爺さんのほうが燃えていました。笑。昭和40年代生まれの私と昭和10年代生まれの爺さん・・家のお片付けという共通テーマで話しをしてる時間がやたら長いと思われますw

台所のリビング側を撮りました。手前のテーブルでご飯を食べています。冬は、寒いのでストーブ前やコタツにみんな移動して食べています。

押入れの中は、1年前に曽祖母が亡くなってから片付け始めました。葬儀のとき、必要なものがまったく取り出せなかったので初七日法要や四十九日法要までの間に押入れを片付けていきました。もし婆さん(義母)が認知症ぢゃなかったらこんなに捨てられなかったと思います。1年の間に曽祖母がしまいこんでいた湯呑みや茶わんも新たに加わりものが増えていました。四十九日法要や1周忌法要、お盆、お彼岸などのときに湯呑みや丸盆・小皿などを使いましたが1年経ってみると何がどれぐらい必要か確認できました。使えるものも壊れていないものも捨てるという選択肢は、胸が痛みます。

モッタイナイけど仕方がありません。私が爺さんに「使えるけど・・壊れていないけど・・高そうだから・・デザインが良いからモッタイナイよね??ど」??と悩んでいたら「余分に持ってても仕方ない・・モッタイナイって取っておいてもキリがない。思い切って捨てたほうが良い!!」と言われそうだよな~と思いました。

 

私ってば・・いつも思うんだけど愚図だし・・迷うし・・悩むんです・・だから片付けを終わらせるまでにやたら時間がかかります。

今回は、捨てるものを処分しながら湯呑みやお椀・茶碗を種類ごとにまとめました。劇的before afterにはなっていませんが種類ごとに収納したので取り出しやすくなりました。

 

とりあえず右半分片付きました。残り左半分は短時間でかたがつきそうです。

    2件のコメント

    こんにちは~
    祖母が亡くなった時(25年位前)は父も母も仕事をしていたので、葬儀や法事が大変でした。
    精進落としの席は町会の方に手伝ってもらった覚えがあります。
    今は何でも会場でお給仕さんを手配してくれて、それなりに人件費がかかるけれど気楽でした。

    祖父が亡くなった50何年か前は自宅で全てやったようなので(私は生まれてもいないから写真と伝え聞きで)湯呑から何から足らずに困ったらしいです。
    で、今の実家は湯呑も茶托も数がたくさんあって(トラウマ買いか?)、飲食店でもやっていたんですか?って聞かれるほど。
    でも、祖母の時も会場を借りたし。きっと蓄積された湯呑は使わないと思います。
    父や母の世代は兄弟がたくさんいましたが、姉と私は二人姉妹だし、義兄もダンナも兄弟はいないし。
    法事と言っても小人数で済むようになってしまいました。

    昨秋は義父が腰を痛めて長時間の歩行がままならないので、お坊さんのお経をきいたら義父は暖かい場所で待っていてもらって、お墓へお参りに行ったのはウチの家族3人だけ。
    お参りが済んだらみんなでさっさとタクシーに乗って帰宅、義父即パジャマ姿に、お部屋でお弁当をいただくだけ。
    不調の人に合わせる、簡単な法事となってしまいました。
    でも腰の痛い人を連れて無理して会食する必要もないといます。
    …嫁としての手間がすごく少なくて、西ちゃんさんのお宅を考えると申し訳ない……

    ちゃーちゃんさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。色々と地域性もあるものなんですね~~(^^)
    家族も大人数ですからね~~。去年の私は、「日頃のお片付け」ができていなかったので・・そっちの方が死ぬほど大変でした。(´Д`) =3 曽祖母の寝たきり介護が終わったとたんに認知症の介護始まる?みたいな。技のデパートって言うより介護のデパート状態でした・・笑。

    実家で祖母が亡くなったのが20年前。当時私は嫁入り前の娘でしたがやはり外で何もかも済ませた記憶があります。町内の班の方々に手伝ってもらった記憶がありますが、母親も大変だったかもしれませんが、今の私みたいだったかといえば・・あまり記憶がありません。私は、祖母が亡くなったショックにうちひしがれていたことしか思い出せません。実家は、20年前と比べるとお祭りも身内だけになってきたし・・やっぱり一昔前と比べると色々様変わりしている印象があります。

    20年前に嫁いできてすぐに嫁ぎ先の曽祖父が亡くなりました。私は、妊娠中だったので変わりに実母が手伝いにきてくれました。当時は、葬儀屋さんもなかったので家族も班の人も大変だったと思います。20年前の葬儀と1年前の葬儀で変わったこともありますが、変わってないこともあって、地元の人に怒られそうだけど・・良くも悪くも昔のやり方で10年位遅れているんじゃないかと思うことがあります。自分たちが老人になったときには、さらに縮小していることを激しくのぞみます。

    1年間いろいろ経験させてもらったおかげで流れや必要量がわかって捨てる目安もついて良かったです。葬儀のときは、認知症の婆さんが横でうん○もらしていたりして・・頼りたくても聞きたくても何の役にも立たないどころか足手まといでw・・次は、家族の誰の葬儀かわかりませんが、わちゃわちゃしずに頑張れそうです。義母の手前
    勝手に捨てられなかった物たちを・・少しでも処分できたことは、私にとって大きな喜びでした。

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    西ちゃん押入れを改造したパソコン部屋でレビュー記事を得意とするブログを書く人、地元ライター
    岐阜県田舎村在住ブログ歴15年のブロガー。押入れを改造したパソコン部屋が私の仕事場♪当ブログは2016年8月に開設。 整理整頓が苦手で片付けられないまま一生終えそうだったけど、家族の葬儀をきっかけに、暮らしを整えるようになりました。カメラ、食べ歩き、ウォーキング、ラコニック手帳を愛する50代。 詳しいプロフィールはコチラ