義援金 救援物資は いつ届く?

被災者の元に救援物資や義援金は、いつ届く?

阪神淡路大震災を例にすると救援物資は、地震があったその日に何台も救援物資を運ぶ大型トラックとすれ違いました。しかし阪神・淡路大震災のときは、被災者のもとに届く前に捨てられることがありました。今回東日本大震災では、インスタントラーメン缶詰水なども賞味期限が3ヶ月以上あるもの限られていました。

 

また阪神淡路大震災の教訓から食べるものは食べるもの衣類は衣類と分類されて配送されました。阪神淡路大震災の時は体育館に届いた救援物資を仕分けするひとでが足りなかったからです。仕分けされていない食料は、仕分けできず届けられる前に捨てられ処分されました。

 

震災から2ヶ月が経過し、今度は被災者のもとに届いた救援物資が余っている地域も
あると言い被災者が購入するなどして全国から好意で届いた心遣いを
無駄にしませんテレビで報じていました。
阪神淡路大震災も東日本大震災のときも道路状態が悪く救援物資がすぐ届いた地域と
届けられなかった地域に差がありました。震災直後と震災後しばらくして必要なものは
違ってきます。

 

震災直後は、水食料紙おむつ粉ミルク生理用品毛布などが震災からしばらく経つと
寝具衣類日用品学用品新聞雑誌などが必要になってきます。
東日本大震災は、まだ寒い3月・・テレビを見ている多くの人が東北=寒いというイメージを
持っておりレポーターもガスも電気も使えないから夜間の冷え込みが心配と中継しました・・
ところが2ヶ月経過し時に初夏を思わせるような天候のこともあるのです。
フリースやあたたかい服が山のように送られてきても5月の東北地方は、半袖のポロシャツを必要としていました。送る側と送られる側に必要なものを送ったはずが不要なものの処分に大変という
皮肉な状況を作ってしまうのです。こんなとき雲仙普賢岳で被災した人の意見や支援阪神大震災の被災経験がある方の意見は、貴重でした。被災を免れた私たちができること・・息の長い、支援は、継続的な義援金なのかもしれません。


被災者の方が口を揃えて言うのは、情報が欲しいということでした。
阪神淡路大震災ではカメラを向けると嫌がった関西の人々
しかし東北の人々は親戚に家族に自分が避難所にいること生きていることを
テレビカメラを使い伝えました。

 

どこに行けば救援物資が受け取れるのか隣の町は、安全かも?と
壊滅状態の隣町に向かおうとする人・・救援物資をどこに行けば配布してもらえるのか
一番必要なものは情報・・それは今も変わりません。


 

東日本大震災から6年、今も仮設住宅に住む3万5500人

仮設住宅

仮設住宅は、地震や山崩れ、水害などで住む家を失った人々に行政が貸与する緊急用の仮の住宅です。関東大震災では、靖国神社に仮設住宅が設置されました。全壊10万戸の阪神淡路大震災では、5年で仮設住宅は撤去されましたが東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、全壊12万戸に対して6年経った今も3万5500人が仮設住宅で暮らしています。津波対策により土地をかさあげするため工事が大規模になったのが原因です。

 

男性に多い孤独死(孤立死)

 

福島第一原子力発電所事故でも設置され、今も故郷に住み続けている人もいるし故郷を離れた人もいます。プレハブ仮設住宅は、狭く壁が薄いので物音がつつぬけで神経を減らし夏は暑く冬は寒いなど一戸建てや公営住宅に比べてデメリットも多いのが現状ですが、長年連れ添った夫を亡くし災害後一軒長屋のように互いに支え合いながら生活してきた人と離れなくないという思いから仮設に住み続けている人もいるようです。災害が発生したあとも女性は地域や近隣のコミュニティを形成するのに対し、男性のは、アルコール依存や孤独死する確率が高まるそうです。

 

しかし震災から6年のプレハブ仮設住宅や災害公営住宅では、誰に看取られること無く亡くなる「孤独死」「孤立死」が増えているそうです。

 

復興公営住宅、家賃は、世帯人数と入居人数・身体障害者手帳の有無などによって金額が決まります。収入は、年金、事業所得、給与などを合わせたもので世帯の月収で計算されます。ちなみに遺族年金、障害年金、児童手当、児童扶養手当などは、収入0円とみなされます。

 

住居者の収入の合算に合わせてこう確定申告と同じように控除があります。例えば70歳以上で10万円の控除(1人)特別障害者控除40万円、障害者控除27万円、16歳以上23歳未満の扶養親族がいる場合25万円など収入から控除分を差し引かれたもので家賃がきまります。

 

1DK 6700円〜5万7600円(8万の月収の場合、家賃は2万円程度で10年間低減される)
2DK 6300円〜5万4200円
3DK 7200円〜6万2100円