認知症義母の茶箪笥を大型ゴミに出す

つい最近まで義母は、本家(ほんや)に暮らしていました。義父と同じ部屋に移ると安心だと思い「夫婦なんだからお義父さんと一緒の部屋にしたら??」と話しても頑なに拒否します。仕方なく亡くなった曽祖母の部屋に移り住んでもらうことにしました。本家(ほんや)は、トイレの場所が遠く段差が多く危険ですが、バリアフリーの隠居は、トイレもお風呂も身体障害者用に作り変えてあります。

隠居に移り住みしばらくは、認知症の症状も特に変わらず現状維持をキープしていました。しかし1~2ヶ月の間にみるみる進行していきました。ご飯を食べたのに「食べてない」というようになり食べること、薬を飲むこと、排泄、着替えにも手がかかるようになりました。それより問題は、歩くことができなくなったことです。隠居から義父の部屋に移動してもらい部屋にポータブルトイレを置くようにしました。はいはいしながらの移動は出来ますがポータブルトイレの周りは、義母のおしっこでびしょびしょに汚れます。たぶんしっかり深く座らないからだと思います。義父が毎日ポータブルトイレのおしっこを捨てて床を拭いています。義父が元気なうちは、いつかは必ず自分がやらなければいけません。経験上、なまじ中途半端に動ける人の排泄の処理より寝たきりのおむつの方が、(相手が動かないから)負担が少ないです。

茶箪笥

義母の部屋の茶箪笥を片付ける

義母が以前暮らしていた場所は、8畳と6畳の二部屋です。もともと片付けられない義母に「部屋を片付けてスペースをあけて欲しい」と言いたくても言えない状況でした。曽祖母の葬儀のときは、大量の荷物を2階に運び込まなければなりませんでした。実家の母に「着替える場所ある?」といわれちょっと困ってしまいました。母は、脚が悪くて2階に上がれません。仕方なく義母の部屋を案内しました。かなり足の踏み場もない狭い場所で着替えてもらいました。散らかってて恥ずかしいというより義母が、亡くなったら片付けてスペースをあけないといけないと思っていました。少しでも片付けておいてくれたら良かったと思いましたが普段から片付けていないので仕方がありませんでした。そのうちに片付けなければいけないとわかっていても生きているうちは、勝手に捨てたり処分できないものです。私よりも義父が、「おかあさん着替える場所なかったな」と落ち込んでいました。(自分が悪いわけではないのに)そんなこともあり茶箪笥と洋服ダンスをお片付けすることは、割と早く決まりました。

大型ゴミ有料化がタンスを出すきっかけになった

また私の市町村では1ヶ月10個までは大型ゴミが無料です。タンスでもベッドでも無料で引き取ってもらえます。今まで無料が当たり前すぎてありがたみに気付きませんでしたが無料から有料になると聞いたら慌てますよ。そりゃ!

茶箪笥を出す前に中身の片付ける

茶箪笥・タンス・引き出しなど見えないことをいいことに、義母は無造作にいろいろなものを詰め込んでいました。まずは入っているものを取り出して必要なもの不要なものに分けます。私では判断できません。そばに義父についてもらって「いる」「いらない」の判断を任せました。でも結局99%は不用品で可燃ごみ袋行きでした。

裁縫道具

今の子どもたちの裁縫セットは、お洒落で可愛いです。昭和40年代の家庭科で準備した裁縫セットは、こういうダサダサ系でした。懐かしいけど無駄に大きいですよね。フタを開けると同じようなものがいくつも出てきました。義父にどうしよう?と相談したところ「捨てて良い」「全部?」「全部!」といいます。

茶箪笥の整理整頓

確かに残されても困る・・もらったとしても使わないものばかりです。

古い裁縫道具

かなり古いアイロンも出てきました。義母がアイロンを使うところは一度も見たことがありません。ミシンを持っていないのにミシン糸を買っていました。ほかは全部処分したけどミシン糸だけもらうことにしました。

古いアイロン

シワを伸ばさなくていけないような衣類は1枚もありません。だから古いアイロンも捨てました。昭和な家電は今のものよりカワイイですよね?昔のアイロンは、木箱に入っていて高いものだったと思います。今、私が使っているアイロンは、パナソニック製で今年で20年目。毎日毎日使っていても壊れる気配がないのでアイロンって寿命が長いものなんだな~と思いました。

古いアイロン

防虫剤も一塊になってて捨てるものばかり出てきます。(捨てるものしか出てきません)

防虫剤

次の大型ゴミに茶箪笥とタンスを出せばスペースが広がります。大型ゴミの日が近づくと思うとワクワクします。当面は、スペースをあけて葬儀や法要などで使うものを置くつもりです。

義母の茶箪笥

部屋があいているから・・といって物置にしないように気をつけます。

    2件のコメント

    おはようございます~
    家の母が一時帰宅したときは、治療と治療の合間で病院の制度の都合で退院しないといけない期間でした。
    …朝トイレに間に合わず汚して、父が片付けしたようで、お昼前に手伝いに入ったら二人で妙な顔しておりました。
    洗濯物の様子も変(薄い羽根布団やベッドパットにタオルケットが全部洗って干してありまして)聞くと、父が話し出し、母は「そんなこと話すな!」って怒っておりました。
    どうやら歩けない・脚に力が入らない、が、病院の「手すり付きのベッドで間もスペースがありトイレも部屋についていて近い」から「手すりなしのベッドから立ち上がりそこない、転倒しても立ち上がれず、トイレへはちょっと距離がある」実家の環境だと無理があったみたい。条件が変わるとできないんですね。
    本人は看護婦さんに監視されずにトイレに自由に行くのが帰宅の目的でもあったようなんですが、間に合わないと大変なのは理解してもらって、おむつ着用してもらいました。
    傾眠も時間が急に長くなるし、数日で症状が急に進んできたので再入院も早めてもらいました。

    親の世代は、トイレに自分で行けなくなるとアウト、という昔の常識を信じ切っていました。
    母は「そんなみっともないことになったら死んでやる~」って言ってたことがありました。
    子世代は、おむつになってからが長いのよ、それが現実、という新しい常識を目の当たりにしまして。
    さて、年取ってから安全な環境ってどんなだろう、って考えます。

    今、家事の合間に実家の青色申告の帳簿を作成しておりまして。
    父…伝票の管理もいい加減になってきているのが心配です。
    ちょこちょこ顔を出しては不用品の処分を手伝っていて気づいたのですが、昔は会社をやっていたものの、昭和の間に会社は廃業しているので
    父……シュレッダーの存在を知りませんでした。書類は庭で燃やすもんだ、とか、いつの時代じゃ。
    地下室が…そちらの作業小屋に相当しそうな有様に変わっておりまして、家電と書類の墓場?となっておりました(私が家を出る前とは違う!)
    申告書類が出来上がったら、シュレッダー宅配してもらって、また処理作業の予定です。
    …地下室はもう少し暖かくなったら手を付けます…

    ちゃーちゃんさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。病院の制度もよくわかりませんよね。うちには、身体障害者の車椅子のオジサンがいるのですが医療制度や福祉制度っていまいちわからない事が多くて・・家族は、何かよくわからないけど制度上の関係で今まで利用できていたのに帰宅しなければならなかったりするんですよね。そんな制度知らね~よとか思いますが・・。お母様もご自分の意思とできることとやるつもりのことができなかったりされるので介護をされるお父様も大変だと思います。我が家の義母も日によって良かったり悪かったりを繰り返しています。ブログの記事は、1~2ヶ月前に書いたものが多いので実際今の状況や気分とはズレがあったりします。記事を書いていた頃は、ほとんど動けず車椅子やハイハイしながらの移動でしたが今は、歩けるようになりました。(奇跡的に復活w)

    ちゃーちゃんさんがおっしゃるようにトイレに行けなくなったらアウトと私も信じていました。しかし今は、中途半端に動きまわるのでそれはそれは徘徊の危険もあるので大変だったりします。うちは、紙おむつにしてようやく1年経ちますが・・ここから長いと思うと・・少々気が滅入りますが運命を受け止めていかねばと思っています。いろいろ考えさせられますよね。老後のこととか認知症のこととか。

    ちゃーちゃーさんのご実家には、地下室があるんですね・・やっぱりスペースってあればあっただけ家電や書類の墓場になります。うちは、本当ただのガラクタでした。そしてガンガン捨てまくっているのに捨てても捨ててもまだまだ次々と不用品があふれてて少しもキレイになりません。(去年の今頃と比べたら物の重量自体は、軽くなったと思いますが・・スッキリ片付け終わったらブログの記事ネタがなくなるから散らかったままの方がいいのかもと思ったりしています。笑。地下室・・今は、寒いですからね・・あたたかくなる頃にはスッキリしているといいですね。

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    西ちゃん押入れを改造したパソコン部屋でレビュー記事を得意とするブログを書く人、地元ライター
    岐阜県田舎村在住ブログ歴15年のブロガー。押入れを改造したパソコン部屋が私の仕事場♪当ブログは2016年8月に開設。 整理整頓が苦手で片付けられないまま一生終えそうだったけど、家族の葬儀をきっかけに、暮らしを整えるようになりました。カメラ、食べ歩き、ウォーキング、ラコニック手帳を愛する50代。 詳しいプロフィールはコチラ