「西ちゃんの人生を最高にするお片付け」を運営している「西ちゃん」と申します。
家族構成(大家族)
家族の死が自分の最期を見つめ直すきっかけとなった
終活がテーマのブログを書きはじめたのは、家族(お婆ちゃん)が亡くなったことで自分の最期を見つめ直すようになったからです。
2015年の冬、100歳になる夫の祖母(お婆ちゃんが)が入院している主治医の先生から「病院にいても治らない」「もう先は長くない」「病院にいたら家族が看取れないことがある」「酸素吸入器が必要なこと。」「家族の誰かが介護をしなければいけない」と説明を受けました。
看取りのこと
主治医は、「亡くなったら、病院に電話をかけて【看取り】をしてください。救急車を呼ぶと蘇生処置や検死や変死扱いになることもありますから【病院での看取り】は医師が死亡を確認し死亡診断書を書くことですよ」と説明しました。
受験生が二人、身体障害者一人、精神障害者一人、そして認知症になりかけた婆さんがいる中で、家に連れて帰る決断をしました。
最期を自宅で迎える
病院で「もうすぐで死ぬ」と言われた婆ちゃんは、自宅に帰ってきたら元気を取り戻しはじめた永久に死なないのではないか?と思うような日々でした。しかしほどなくして私の手を握り返す温かい手は冷たくなりました。
介護をしながら百歳でも生きようとする姿、家族と最期をどう過ごし死んでいくか・・深く考えるきっかけになりました。
その日は必ず来る・・常日頃から片付けていないと恥をかく
死んだ婆ちゃんを病院に乗せていき医師に死亡診断書を書いてもらい遺体となって家に戻ってくる数時間。私は散らかった部屋を片付けていました。通夜や葬式で人が来るというのに、とんでもなく散らかっていました。
その日は必ず来るのに、常日頃から散らかっていたので恥ずかしい思いをしました。
「もうすぐ死ぬ」「いつかは死ぬ」を心づもりはしていましたが、介護の合間の片付けは、うまくいきませんでした。当時はモノがたくさんあふれていましたし。
どこから片付けたら良いか分からないほどモノが溢れていた
そんな経験をしたからいつ葬式があっても慌てない家に整えなければいけないと痛感したのです。
死んだ後も大変、葬儀が終わると次は遺品整理
葬儀が終わったら、初七日法要。初七日法要を終えたら四十九日法要の準備。同時進行で遺品整理も行いました。悲しんでいる時間がないほど大量の不用品が出ました。
四十九日法要が終わり遺品整理が一段落した頃、爺さんは心筋梗塞で倒れました。幸い爺さんは、一命をとりとめ「いつか死ぬ」ことを常に意識し家中の物を片付けるようになりました。
爺さんは、その後自分の奥さん(婆さん)が亡くなったときも葬式の最中に救急搬送されています。(何やってんだ?爺さんw)
ブログで発信していること
2016年夏にブログを開設しました。お片付けランキング、1258サイト中1257位、汚部屋・汚部屋脱出ランキング、879サイト中878位。片付けられない女の「恥」をさらすことに抵抗はありましたがbefore after写真を撮るのが楽しくなり今に至ります。
当ブログでは、
- 片付け方、捨て去った物、コト
- わたしの好きなガジェットや好きな物、好きなコト
- 地元(岐阜県中津川東濃飛騨エリア)の情報
大きく分けると以上のような内容を発信しております。
私の生い立ち
専業農家の真ん中っ子。 1969年飛騨高山の生まれ51歳B型。働き者でいつも日記を書いてどこにでも歩いていく腰が曲がった婆ちゃんに育てられました。もんぺで着物を着てお団子を結わえた質素な人でした。でも仏壇の修繕には、やたらお金をかけていたことを覚えています。日記を書いたり歩くのが好きなのは、婆ちゃんのDNAを引き継いでいます。
2つ上の兄からはいつもいじめられていました。4つ下の弟とは野山をかけまわっていたようです。カメラが好きなのは父親からのDNA。
小学校にあがってもずっと恥ずかしがりや。運動会のかけっこだけが私の輝けるところでした。
中学に入ると学年が上がるたび成績が下がり続けました。中の下の下まで下がりました。中3の担任がテスト結果を掲示板に貼り隣のクラスのTくんも見られました。猛烈に恥ずかしいという思いがめちゃくちゃ勉強に向かわせる原動力につながりました。
中学のときは、剣道部に入れなかった私ですが37歳から剣道をはじめて10年以上経過しました。
一度あきらめたことでも再び挑戦できるのは大人の強みですね。
修学旅行のバスガイドさんのモノマネをしたところクラスメートに受けバス会社に就職しました。しかし緊張しやすく車酔いがひどく最初はちょっと大変でしたが10年近く働き続けたので良い会社だったのだと思います。
尊敬している先輩のノートは、美しい文字の案内文、分かりやすいイラスト、色付きの地図が描かれており自分も真似るようになりました。
「書く」ことを楽しみながら道を切り開いていった感があります。
子供を出産後、見よう見まねでアフィリエイトをはじめました。フジカラーブログに毎日写真を貼り続けるコンテストで入賞、楽天アフィリエイト成功事例に2度掲載。アドセンスも成功しました。
しかし
人生と同じでずっとうまくいくことばかりではなく挫折や失敗も経験し今に至っております。
私は、こんな人
2016年8月当時の写真です。パソコン周りだけが汚かったわけではありません。物が溢れかえっていても汚い家に住んでいたためどこから手を付けたら良いのやら?状態でした。 しかしカメラのレンズを通すことで第三者目線で「汚い!片付けないと恥ずかしい」と思えるようになったので、まあ良かったのだと思います。 名誉挽回、2018年6月の写真。汚い部屋のままでは死ねません。私みたいに片付けられない人は、恥をさらけ出してしまえば片付けられるようになるはず。 ※当サイトは、アフィリエイトプログラムを利用しております。詳しくはこちら→プログラムポリシーについて閲覧注意、恥ずかしい、見ないで、でも見て?
思い描く理想の未来
婆さん(77歳認知症)・爺さんの弟(70歳精神障害者)・爺さんの弟(66歳身体障害者・車椅子生活)2015年まで100歳のお婆ちゃんも一緒に暮らしていました。クリックで拡大
(10人家族から9人家族になり現在8人家族です。)