命について考えてみた

手術

一方的&強引

いつも車椅子のおじさんがお世話になっている病院の看護師さんから電話がありました。去年の12月からずっと入院を続けています。原因不明の高熱が続き透析ができない=治らないというところまで来ました。しかし抗生剤が効き熱も下がり透析ができるようになり仮の?シャントから血液透析がはじまりました。入院期間が長引いたこともあり体調が良い日をみはからって1日だけ退院しました。翌日に再び病院に入院しましたがたった1日だけでも退院は、退院なので病院にケアマネさんや訪問看護師さん、家族である私と爺さんが一同にあつまり本人をまじえての会議が行われます。退院して即入院、家で熱がでたら深夜に連れて行かなければならず1日でもドキドキ。

金曜日に看護師さんから電話がかかってきました。内容は、「治療方針について先生のお話をうかがってください」というものでした。

私は、「分かりました。月曜日から金曜日の平日の夕方5時ぐらいまでの間なら都合をつけて参ります。」と返事をしました。「では、先生と相談してお電話をおかけします」と返事があり再び同じ看護師さんから電話がかかってきました。「今日の夜か、火曜日の夜に病院に来れませんか?先生は、宿直でいらっしゃるので夜ならいつでも何時まででも大丈夫です」とおっしゃいます。

私は「今日!夜?!」と驚きながら子どもたちの送迎があることや夜に認知症の義母を置いていくことのは心配だから夜は、調整しても出て行くのが難しいと答えました。婆さんは、4時に夕ご飯を食べてお風呂に入って(お風呂で溺れたこともある)6時か6時半には、眠りにつくため夜一人だけ置いていくことはできないのです。婆さんは、爺さんが隣の部屋で眠っていても探し回ったりするし、外に出て行ってしまったこともあり心配。部屋の戸を開ければいるかいないか分かるのに・・そこは認知症だから普通わかりそうなことが出来なかったりするのです。(でも本人はしっかりしているつもり)

不機嫌な声で看護師さんが「子どもたちの送迎なんて誰かに頼めば良いじゃないですか!!」と言いはなちました。同じ方向の子はいても部活動も帰る時刻も違います。昼間なら歩いて帰ってこれても田舎だから電気もないし急だから懐中電灯も夜行ダスキも持たせていません。旦那が帰ってくる時間も遅いし勤務中なので連絡がとれません。メールもラインも見ない人ですからね。「今日は、急なので都合がつきません。夜に病院に向かうのはやっぱり難しいです。平日ではダメなのでしょうか」そういい電話を切りました。お医者さんが忙しいのも分かるけど患者にはそれぞれの家族がいて複雑な事情が絡み合う・・患者の家族が合わせれば済む問題だと思いながらも一方的に言われて困ってしまいました・・もう少し柔軟に考えられないものか、それとも患者の家族がワガママなのか?と落ち込みました。

治療にかかるお金

手術月曜日になり今度は、先生から直接電話がかかってきました。月曜日の午後先生にお会いしました。そしめ同意書を書くために火曜日も病院。二度手間三度手間だなと思いながら遠方だから仕方ないとあきらめるしかありません。

動脈と静脈をつなげる手術のことを手術の費用、透析治療は1ヶ月50万円(1年で600万円)。入院費は1ヶ月20万円。毎月の医療費で50万円。お金と命は、天秤にかけられないけれど人が一人生きるためのお金と考えるとどうなのだろう?と考えてしまいます。

本人は、どう考えているのか?どのように考えているのかは本当のところは分かりません。実際お金だけの問題ではなくて・‥お金をかけて治療をしても治らないので難しい問題です。治らないからと治療を止めるという選択肢。チューブだらけでも幸せか不幸せかは、誰も決められない。

歩けないこと食べれないことが可哀想、不幸と思うのは、まわりの価値観で本人が生きる希望とか持っているなら不幸ではないのかもしれません。

請求書

必要とされている命、必要とされていない命

必要とされている命なのか?必要とされていない命はあるのか?食べれなくても車椅子でも悲観的にふさぎこむこともなく明るく生きている。色々な管がつながれていていても生きたい死にたくないと思っているならどんな判断が正しいのかさえ分からないし苦しさだけが残ります。おじさんには奥さんもいないし子供もいません。でも家族から必要とされていないかといったらどうなんだろう?必要じゃない家族なんているのだろうか?

私はどうしたら良いのだろう?遠くない先のことを考えれば考えるほど混乱するし自分一人で抱えきれる問題ではないなと思いました。おじさんの命が自分たちの判断に委ねられているとしたらすごく重い。子供のことを犠牲にしてもオジサンを優先すべきなのか?と考えるとやっぱりどうなんだろう?と思ったり。

そしてもし自分の子供だったら・・?もし自分の夫だったらと置き換えて考えると堂々巡りみたいになって答えが出てこないのです。

透析は、血管が詰まったら今度は場所を変えて手術をしなければいけないこと、手術をするたびに手術の費用がかかると説明を受けました。どのような判断をしたら良いか家族でも問題が重すぎて、先生も困っていたけど、私たちも困りはててしまいました。

透析手術をしたらあとは詰まったら再度手術をしないということは死を意味し、透析をやらないという選択も死を意味します。今は、抗生剤で熱を下げているけど抗生剤も耐性がついてしまえば抗生物質が効かなくなる日もやってくるという現実。

爺さんにとって、実の弟なので身内が死ぬことに対して本音は分かりません。私が嫁いでくる前から嫁いできてからも「病気のデパート」のように色々な病院のお世話になってそれが20年続いたというだけのはなしです。

車椅子のおじさん本人には、酷だと思いましたが抗生剤が効いているから今は熱が下がっていること、抗生剤が効かなくなったら覚悟しなければいけないことを告げました。そして爺さんと話し合い今回は、シャント(手術)を作るけれど血管が詰まったときは、2回目の手術は行わない方針であることも告げてきました。2回目の手術でまた次々と手術をしたらなし崩し的に終わらない。しかしそれが良いことなのかだれにも決められない・・いやはや重い。重苦しい1日となりました。

    8件のコメント

    西ちゃん、みなさん、おはようございます。
    日々、秋に近づく。
    人生の終盤かのよう。
    夕方の日の入りも早く、帰宅時は意味なく寂しい。

    おじさん、この暑い夏を乗り越えて来たんですね。
    実は、私が命を狙う夫は、介護の仕事をしており、
    「今年の夏は3人死んだ」なんて、軽々しく言います。
    厳しい夏、冬を超えると、急にお年寄りは虹の橋を渡っていくんですね。
    夫は橋のたもとでウロウロしてますが。

    昔、父が病院で治療を受けている時、やはりドクターから同じような確認がありました。
    「この後の治療方針として、延命治療をするのか、しないのか」
    そりゃ助かってほしい。
    お父さんは治るの?
    また、手術する?
    色々天秤にかけ、あちらを立てれば、こちらは立たず。頭の中は散らかり放題。
    母はオロオロするし、私も嫁いでいたから、どこまで言っていいのやら。
    気丈な妹が取りまとめてくれて、ドクターと話をしてくれて。
    結局、父は延命治療はせず、自然に逝きました。
    それが、正しいことなのか、そうでないのか。
    全くわかりません。
    ただ、父はもっと生きたかったと思うけど、私たちが選んだ方針を恨んではいないと思います。
    家族で病気と闘って来た姿は、嘘ではなかったから。

    そうだ!ナースってそうでしたよ。
    病室に入る時、「菌ついている状態では入室できません。子供は菌だらけだから、入室不可。」
    って、言いましたよ。もう、父は死んじゃうってのに。
    「父は、孫に会いたいんです。このまま会えずに死なすわけにはいかない。」
    って、娘たちの頭から、アルコールスプレーをぶっかけるという。
    「これでいいですよね」って。あー。反抗的な態度でした(笑)
    病院が用意した、ボタンが部分的に取れちゃってる白衣を着せられ入室。それはそれは無様な格好でしたが、「これが父との最後かも」って、何度か着ました。
    後から聞くと、ドクターは、「お孫さんたちには、自由に会わせるように」って言われていたそうです。
    んだよ!ナース!イジワルか?!
    なーんて。怒っても仕方ないよね。クスクス。
    ナースは、日々、病と死人を見ています。冷静というか、事務的と言うか…
    まあ、そんなもんです。

    必要とされていない命なんてありません。
    どれもこれも尊い命。
    助けたい!生きていてほしい!
    おじさんも、私の父と同じで、家族が決めたことを恨んだりしない、と思います。
    何十年と一緒に戦った同志ですから。

    西ちゃん、日々の生活でも忙しいのに、こんなヘビーな思いをして。
    大変でしたね。
    息がつける時があれば、息をついてぼんやりするのもいいですよ。
    美味しいチロルチョコとか食べて。
    休める時に休んでね。

    東ちゃん、こんにちは。いつもたのしませてもらっています。笑。コメントを読ませていただきながらポロポロと涙が出てしまいました。記事のテーマが重いな~と思いながらなんだか書かずにいられなくて先に進んでいかなくて。東ちゃんのコメントはいつも笑いすぎて涙出てるんですけど・・今日は、東ちゃんホント最高と思いながらお返事を書いています。夜中に書き殴ったので何書いてるかわからないような文章にもかかわらずお父様のことまで書いてくださって本当にありがとうございます。

    >ただ、父はもっと生きたかったと思うけど、私たちが選んだ方針を恨んではいないと思います。
    家族で病気と闘って来た姿は、嘘ではなかったから。

    そうなんですよね。家族しかわからないことっていっぱいあって誰も死にたいとは思っていない・・(と思う)私も爺さんも20年間頑張ってきたし、おじさんも頑張ってきた。もうそれで良いと思うしかないという答えにたどりついた気がしました。

    私とおじさんは血がつながっているわけではないのでもっとドライに決められると思っていました。おじさんからも頼られているのは嫁として有り難い反面、重荷であることは間違いなくこれからまだ続く家族の介護のことを考えたらやはりどうしようもない部分もあって・・もっとスパっと延命治療しないと決められると思っていました。子供や自分の親だったらもっと違った意味で悩んだのだと思います。常日頃から家の中でも毒を吐いているので、自分がしっかりしなきゃ!爺さんがブレる・・でも爺さんの気持ちも考えると爺さん私に気を使ってくれてるんじゃないかと思ったり。

    100歳の曾祖母は、高齢だったので医師も治療はすべてやりつくした、もうやれることはないと言われ・・そのときも爺さんと二人で決めました。車椅子のオジサンは、曾祖母と比べるとまだ60代ということもあり・・そして今、小康状態というのが判断を鈍らせているのです。今は、普通にしゃべったりして見た目には元気。だから延命治療はしないという選択が良いのか悪いのかと悩んでしまっていました。チューブを体中にさしこまれて生きているのも最初は、そんなの不幸に決まってる!と思っていたのに幸せか幸せじゃないかなんて私が決めることではないだなと思ったり。

    だけど、東ちゃんのコメントを読んで何度も何度も読み返してぐぐっと来てしまいました。本当にありがとう。気持ちがとても楽になりました。旦那さまも登場してニヤニヤ。そ~いえばうちの旦那に相談してもほしい答えなんて1%も返ってこないんだろうな・・というわけでネットの向こうの東ちゃんに救われた私。ありがとうありがとう!!

    西ちゃん、こんばんは♪
    毎日本当にお疲れさま!
    日常生活だけでもしんどいだろうと思うのに、大変な状態に直面されているのですね。
    確かに重い内容だと思います。
    だけどいずれは私たち皆が直面する事実でもありますよね。
    私の父は59歳と3ヵ月で亡くなりました。
    B型肝炎からの肝硬変で、最後は多臓器不全で亡くなりました。
    何度も入退院を繰り返し、最後は救急車で病院に運ばれたきり、意識もほぼ戻らず2日後に亡くなりました。
    まさかこんなに早く逝くとは自分でも考えていなかっただろうし、さぞかし無念だっただろうと思います。
    まだ幼稚園児だった娘を連れて病院にかけつけた時、父の耳元で「おじいちゃん!○○が来たよ!起きてや!」って言った時、
    父の目じりから涙が一筋流れました。
    あの瞬間の出来事だけは、今も鮮明に覚えています。
    あの一瞬・・・父は意識を取り戻したのだと思いたい。
    延命治療をしたとしても、意識が戻るかどうかもわからないし、ただ呼吸器つけて無理やり心臓を動かしてるだけなんて耐えられないと、
    母と相談して自然に逝かせる決意をしました。
    心拍モニターが、ピーーーと鳴った時、心臓マッサージをされましたが、肋骨が折れるんじゃないかと思うほどの勢いで押すんですよね。
    かわいそうで耐えられなくなって2度目のマッサージをしようとする先生に「やめてください!」と言いました。
    私33歳でした。号泣というのでしょうか?あれほど泣いたのは後にも先にもあの時だけです。
    後悔はどんな選択をしたとしてもきっとあると思います。
    だからどんな選択をしても、きっとそれが正解だと思います。
    もっと生きたかっただろうなと思う反面、楽になってよかったねと思う気持ちもあります。
    おじさん本人も、お爺ちゃんも西ちゃんも、気持ちは揺れ動いて当然だと思います。
    無理しない程度に、出来るだけの事をした。後は静かに・・・
    「寿命」って「天から与えられた長さを生きた。それはとてもおめでたい事」っていう意味だそうですよ。

    命は尊い
    たとえ私のようにちっぽけで、自分勝手に生きて、何の役にも立たなかった人間でも、何人かの友達と娘はきっと泣いてくれる(たぶんw)
    たけど、私も母も今後どんな状況になっても延命治療はしないと決めてあります。
    命のスイッチが切れるまで、精一杯生きる。
    どんなに頑張ったって、やりたい事の一つや二つ、やり残しがあるでしょう。
    それでいいんだと・・・父の亡くなった歳を越えてしまった今、そう感じています。

    西ちゃん♪
    貴女の頑張りは、家族のみんながわかってくれている。
    貴女がつぶれたら大変な事になってしまう。
    だから、少しでもストレスためないように、自分自身を労わって、無理はしても無茶はしないようにね。
    アイスクリームもチョコもちょっとぐらい食べても大丈夫♪(笑)
    手抜き家事大賛成!
    明日には心強い相棒、水ピカ君がやってくるのでしょう?楽しんで♪

    きなこさん、いつもいつもありがとうございます。暗い重い内容にもかかわらず、コメントをくださってありがとうございます。
    東ちゃんのコメントで泣き・・きなこさんのコメントで泣き・・今日は、本当に涙も鼻水もよく出る日です。
    きなこさんは、お父様を早くに亡くされたのですね。お父様の目から一筋の涙・・きっとわかっていらしゃったのだと思いました。
    お父様を亡くされた年を越していくってなんだか不思議な感覚になりませんか?

    私は、父親が精神病を患った年を越すまで自分はダイジョウブなんだろうか?とドキドキしていたものです。
    ときどきは、落ち込んだりもするけど・・そういう自分にとって特別な年齢を超えていくと、あとは人生儲けもののような気持ちになります。

    曾祖母が亡くなって1年半。自分の大好きな父方のばあちゃんが亡くなって20年。母方のばあちゃんが亡くなって25年。
    旦那の親や旦那にとってのおじさんなのに・・いつのまにか嫁である私が思いっきり身内になってる不思議な感覚。
    自分にとって血がつながっているからとか血がつながっていないからというのは関係なく延命治療の判断というのは
    重い選択です。

    母親も爺さんも一時期危ない状況になりながらもこの世に引き返してくれました。だから皆がずっと毎日明日も明後日も元気でいてくれるような気分でいるけど
    確実に死は近づいていることを認識しなければいけないと思いました。自分も子供もダンナも毎日、当たり前に元気でいることにも感謝しないといけません

    >もっと生きたかっただろうなと思う反面、楽になってよかったねと思う気持ちもあります。

    そうなんですよね。うんうん。そうなんだと思います。昨日は、書きながらどうしたら良いのか答えが見つからず・・でも爺さんに今まで一緒にあちこちの病院に行ったこといっぱいいっぱい自分たちは、頑張ったんだよ。本人も頑張ったしみんな頑張った、家族しかわからないけど誰がなんといおうと頑張ったんだよ・・と言ったら泣いてました。爺さんも涙もろいですからね。
    いろいろと難しい問題です。

    延命治療って・・今までそんなに深く考えたことがなかったし家族で話し合ったこともなかったけれどそういうのはタブーじゃなくてちゃんと話し合っておかないといけないことなんですね。そういえば終活ブログだったにもかかわらず洗濯に夢中っていうね。笑。

    おはようございます~
    昨日書き込みしていた途中で操作を誤ったら消してしまい、時間が無かったので今朝です。

    医療は日進月歩なんですが、病気をしている当人とその最も近い人が、医療の進歩ってどういうことなのか理解しているのかは当人次第。

    義母は生前「尊厳死とは」という講習会に夫婦で参加してましたが、倒れて救急車で担ぎ込まれたら即手術。
    手術中に一時心停止したものの再び動き始め、一命をとりとめました。そして手術で助かれば諸々のチューブにつながれ集中治療室。
    一緒に講習会に行っていた義父が混乱して、回復に必要なチューブで延命とは違うのだと納得してもらうのに毎晩電話。
    リハ病院で過ごせるまで回復して安定したひと時が過ごせましたが、一度帰宅したら一週間ほどですぐに入院になり、自宅にはもう戻れませんでした。

    実母は難しい部分の腫瘍で、でも医学の進歩は素晴らしいから自分は最新の治療を受けることができるのだ、って思っていたようですが、最新の治療は諸刃の剣。
    母の腫瘍にその治療を施すと、今ある腫瘍はたたけるけれども周辺に散らばり複数で腫瘍が大きくなり始めるため、選ぶべきではない。
    入院している病院ではその設備が無く、その高度先進医療を受けられる病院は上の理由から受付してもらえない。
    自費で治療できる病院は順番待ち、順番を待って転院するには本人は遠くまで移動できない。標準治療を受けないと数週間だろう。
    高齢の方は薬や放射線に耐えられずに亡くなる方も多いので、治療を施さずにそのままという選択肢もありますと医師からは説明されましたが…本人と父が頑張らないでそのままは嫌だというので、標準治療を受けざるを得なかったです。
    もとは頑丈な体のつくりなので無理といわれた治療に耐えられちゃいました。
    その後療養型病院に移り、半年ぐらいだったかな、静かな時を過ごせました。
    ただ父がね…結構終末期になるまで、治るんだって思い続けていたみたいです。

    両名とも、目覚めなくなってきたら補水のための点滴はしてもらいました。ハイカロリーは拒否しました。
    心停止後の心マなどは一切しないようにお願いしておきました。
    祖母たちの頃の終末期とは全く違う、心づもりしていた期間の3倍以上は補水の点滴だけで保つことができてしまいました。
    病院に居るのだから補水、と思っていましたが…この段階の処置をするかしないかも、はっきり病院に伝える必要があるのだと後から思いました。
    義父も父もこの昏睡が続いている期間中にやっと心の整理がついたみたいで、必要な時間だったのかとは思いますが、それが長かった。

    救急車で担ぎ込まれて手術が奇跡的に成功しても…高齢だと回復が難しいのだとわかりました。
    治療を選ぶのも認知能力が衰えてきてると、判断が難しいのだとわかりました。
    まぁ、後期高齢者になるまでは治療してリハビリ頑張れるけど、それ以上になったら楽にしたいよね、というダンナや自分の目安がわかりました。
    さあこれをどう意思表示するか。その時判断できるのか。コレわからないです~~たぶん自分たちの病気はまた種類が違うから。
    病院のベッドでせめてスマホで検索できる程度の能力が残っていたら、自分で判断したいものです。でもこの考えも甘いよね、書いておかないとね。

    難しい~~ホント、近い伯父伯母や従妹たちの対応を思い浮かべてもホントみんなそれぞれ違う。
    でもみんなすご~~く悩んでいたのは、わかります。それぞれがベストなんだと思います。

    ちゃーちゃんさん、こんにちは。いつもいつもコメントありがとうございます。

    最近の医療は、進歩しており延命措置をしようと思えばどこまでできるような感じさえします。ただ国も超高齢だったり治る見込みが無かったりしたら線引きをするという方針なのかなと思ったりしています。でも奥さんとか旦那さんとか我が子となったらやっぱり線が引けない部分があるような気がします。頭でわかっていても「情」が勝ってしまう・・

    >結構終末期になるまで、治るんだって思い続けていたみたいです。

    そうなんですね・・信じたくないのかもしれないですね。うちの爺さんは、婆さんの認知症治った?とか未だに言いますもん。いやいやいや・・「認知症風邪じゃないから薬飲んでも治るわけでないよ」と説明したりして。だから今は、繰り返し繰り返し説明をしています。長男と末っ子で、末っ子のおじさんは、親にすごくかわいがられ爺さんは長男なのに親に嫌われていました。嫁に来たばかりのころその関係性に驚いたものですが・・末っ子のおじさんは今でも依存心の強い甘えん坊な性格です。60過ぎてるのに。親がかわいがり大事大事にしすぎた弊害だと思います。爺さんは、長男なのに親から嫌われて・・長男の嫁である婆さんもものすごく嫌われていました。当然私も長男の長男の嫁なのでよく思われていなかったし私の子供たちすら嫌われていました。

    いろいろなわだかまりがある中での介護生活でしたが ちゃんと介護して看取ってよかったと思っています。ややこしい関係性で分かりにくくてすみません。そんなわけで末っ子と長男である爺さんとおじさん(車椅子)の関係性は良いとは言えないのだと思うのですが・・延命治療となると・・そこはスッパリ切れば良いのに「兄弟」の血のつながりのようなものが見え隠れ。

    車椅子のおじさんが車椅子になったのが15年前・そして自己導尿。24時間点滴になり飲み食いできなくなって3年ほど経ちます。おじさんもまったく食べたりできないけど点滴だけでも生きていられるものだなと私も思います。今は、まだ意思疎通ができるので私は、私たち家族の意見として2度めの手術はしない方針であることを告げてきましたが・・難しいっていえば難しいし堂々巡りみたいな話です。

    >難しい~~ホント、近い伯父伯母や従妹たちの対応を思い浮かべてもホントみんなそれぞれ違う。
    でもみんなすご~~く悩んでいたのは、わかります。それぞれがベストなんだと思います。

    そうなんですよね。皆それぞれに関係性が違いますもんね。曾祖母のことも車椅子のおじさんのことも面倒を見ていても見ていないと陰口をいわれて・・そういうのが回り回って耳に入るし何年経っても忘れません。悪阻でゲロゲロ吐きながら糞みたいに重い車いすをのせておろしておじさんを病院につれていきトイレで吐いて・・あああ思い出すだけで辛い思い出。でも結局最期は、家族なんですよね。好き勝手なことを言う人はいても1番分かり合えるのが家族でした。家族っていうか爺さんなんだけど。最終的には、家族と本人と納得した上で治療方針を決めていくというかんじになると思います。主治医の先生が俳優みたいにダンディで・・w「まだ若いしね~元気になってきたしね~」とおっしゃるので若干気持ちが揺れます。もっと先生が冷酷無慈悲だったらこんなに悩まなくても済むのになと思います。

    うふふ、主治医の先生が俳優みたいにダンディで・・
    義母執刀した心臓外科医はブラックジャック風?シャープな顔立ちの方、リハの院長先生は爽やかでドラマの主役になれそうな方。
    実母の方は、脳外の先生も腫瘍の先生も、転院した療養の担当の先生も相撲部屋?に統一されておりました。
    この統一感…これも笑えますよね。

    娘がお世話になってる先生は時々テレビでもお顔拝見しますが、実際に会うと茹で卵みたいな美肌で眼鏡の向こうの目が麗しーくマツゲぱちぱちしてます。
    今日は午後から診察でした。今年は体調安定しているので安心です。

    ちゃーちゃんさん、こんにちは。病院お疲れ様でした。(娘さんの?ですよね)体調も安定しいるみたいで良かったですね。都会だからテレビに出演されるような先生が診察をされる機会もあるんですね~~すごい~~

    田舎には、あまりイケメンの先生って少ないかもしれません。私がダンディと思った先生も・・よく考えたら結構な年齢のような気がします。年下よりおっさん好きなのかな~~笑。イケメンがいないから「おっ!」と目を見張るイケメン先生がいると・・これは患者や看護師にモテるだろうな・・と妄想したりします。

    最近テレビでも週刊誌でも不倫が花ざかりで?っていうか?バレてしまう方々が多くて・・「またか」と思ってしまいます。一線超えてないとか男女の関係はないとか主治医と患者の関係ですと言った方々も見た目が良いから(男の方も女の方も)モテるのも仕方ないんだろうな。しかも中学生や高校生みたいに盛り上がっているので恋愛のエネルギーってある意味すごいことだなと思ったりします。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA


    ABOUT US
    西ちゃん押入れを改造したパソコン部屋でレビュー記事を得意とするブログを書く人、地元ライター
    岐阜県田舎村在住ブログ歴15年のブロガー。押入れを改造したパソコン部屋が私の仕事場♪当ブログは2016年8月に開設。 整理整頓が苦手で片付けられないまま一生終えそうだったけど、家族の葬儀をきっかけに、暮らしを整えるようになりました。カメラ、食べ歩き、ウォーキング、ラコニック手帳を愛する50代。 詳しいプロフィールはコチラ