義父が裏にあった味噌部屋をぶっ壊してくれました。嫁いだばかりの頃は、地味噌を作っていた義母のために古い家を壊した瓦屋根を使い味噌部屋を作った義父。手作り味噌は、数年間作っていましたが、しだいに作る量より消費する量が少なくなっていき使いきれずにカビることが増えていました。気がついたときには味噌を作らなくなっていました。
今は、地味噌も美味しいと思うけど飛騨高山の味噌の味に慣れ親しんでいたせいか、嫁ぎ先の味噌を好きにはなれませんでした。それに義母が、やたら味噌自慢をするのも腹が立ったし。笑。そもそも味噌汁が好きではないのです。年を取ったら味噌作りはしてみたいけど、自分で作ったら義母のように自慢してしまいそうだけど大きな小屋を残されてもどうしようもないなと思っていました。しかし味噌部屋は、義父が作った建物なので「壊して」とは、言い出せずにいました。
パワフルな焼け跡世代を親に持つバブル世代
しかし捨てられない世代がやる気になるとすごいバイタリーを発揮し驚かされます。昭和10年代生まれの焼け跡世代は、激動の時代をたくましく生き抜いてきただけあってとてもパワフルです。焼け跡世代を親に持つ世代がバブル世代。バブル世代もある意味パワフルだけど、焼け跡世代には、負けます。ゼロから上がっていった世代と百から下がった世代ですからね。体力的には、若いものより衰えているもののたくましさがまるで違う気がします。うちの旦那なんか、病んだ人みたいにおやすみの日は眠り続けますからね。そんなわけで昭和13年生まれの78歳と昭和23年生まれの68歳は、せっせと家の周りをキレイにするために動いてくれています。昭和42年生まれの49歳は、週1のおやすみのときは、本当にダラダラ。
家周りの片付けは終わらないかも?途方にくれた日のこと
最初は、木材・廃材・角材が置きまくりの状態で「これどうしたら良いんだろう?」と途方にくれました。
廃材・木材を処分し1つ分小屋を壊しました。裏にあった小屋や物置を移動したり壊していくと家の中は、電気つけっぱなしだったっけ??っていうぐらい明るくなりました。北側が裏の方角になり、台所も北側に面しています。小屋や物置を移動したり壊しただけでぱっと明るい!!広がる視界!義父に「家の中が明るくなった」と話したら・・うれしかったみたいで「味噌部屋も壊そうと思う」と言い始めました。
義父が数年かけて1つ増やして2つ増やしていった小屋。「いつのまに作ったの?一緒に暮らしていたのに全然気づかなかったw」裏だけで3つも4つも小屋が建っていたことにも驚きましたが旦那も子どもも「いつのまに建ってたか記憶にない」と言います。「自分が作ったものだから自分で壊す」!!!!普通年を取るとそこまで柔軟な考え方はできないものだし体力も気力もわかないものだと思いますがなんだか壊すのもうれしそうです。
家の陽当りが良いとか悪いとか何も思わずに暮らしてきたのに「ある」のと「ない」では、大違い。小さく見える小屋でも陽当りや視界のことを考えたら無い方が良いんだな~と思いました。全部ぶっ壊したら陽当り良好。
朝、写真を撮って昼には、こんなかんじ。ちょっと油断すると取り壊し作業がどんどん進んでいるので撮影係も必死です。
3時には、こんな状態。前から見るとここまで壊れてテキトーに?切りながら破壊。
楽しくて笑ってしまいます。
夕方には、全部崩壊。
なにもない・・っていうか瓦が散乱しているけど見通しがよくなってきました。
お片付け楽しいです。
コメントを残す