ブログ記事は予約投稿にしているため普段通り更新をしていましたが怒涛の一週間を過ごしておりました。
義母を看取る
1週間前、旦那の母親、私の義母が亡くなりました。
3年前認知症と判明、昨年大腸がんとわかり手術をしたものの三ヶ月後に転移が判明。余命1年の宣告を受け家族で治療をしない方針を決めました。
本人にも周りにも病名を伝えず春を迎え体調の波はあったものの亡くなる直前までディサービスに通うことができたのは良かったのだと思います。
50年以上連れ添っている爺さんは、悲しみに暮れて動揺していました。その寂しさや虚しさ心細さは誰にも受け止めることはできません。100才のばあちゃんが亡くなったときは爺さんが喪主をして今回は、爺さんではなく旦那が喪主をつとめました。
婆さん最期の日
亡くなる前日、高熱でうなされていた婆さん。座薬を挿しパットを替えて ずっと手をさすりながら「あやめの花が咲きかけたよ」と枕もとで話し続けていました。婆さんは、水分を摂る力もないようで しんどそうでした。
翌朝は快晴。前日の熱が嘘のように下がり婆さんは、穏やかな顔をしていました。一輪しか咲いていなかったあやめの花が一気に咲き始めたので、あやめの花が咲いたことを話しました。「隣家のかきつばた(菖蒲)は、紫で背が高い、うちのは背が低い、住んでる人に似るのやね」。
前日とはうって変わりゴクゴクと美味しそうに水分を摂っていました。私は、家族のことを話し続け婆さんは返事もできないし声も出せないながら、優しい顔で聞いていました。
手をさすっても握り返す力もありません。ずっと話していたら婆さんの目から涙がこぼれて・・
(涙を拭いて・・)という仕草をしたので泣きながら婆さんの涙を拭き・・グッと胸にせまるものがありました。
私が見た最期の表情は穏やかで優しいもので・・いつもの朝が始まったばかりのように思えました。前日の高熱が下がり私も爺さんも安心していたのです。
静かに旅立つ
その日は、訪問看護師さんが来るようになっていました。私はいつもどおりパソコンを広げ爺さんは婆さんの横でテレビを見ていました。息をしていないことに最初に気づいたのは、看護師さんでした。
爺さんが血相を変えて慌てた様子で「婆さん冷たくなってる」走ってきました。
「朝 元気やったのに」と冷たくなった婆さんを家族で囲みました。医師に看取りをしてもらい、、、そこからは、通夜や葬儀の準備に追われました。
亡くなった婆ちゃんとの折り合いが悪かった義母。嫁いできた私の力では、どうすることも出来ないと感じることも多々ありました。でも最期は穏やかな顔で静かに旅立っていかれたのが印象的でした。
物が少なくて片付けが簡単だった
100歳の大ばあちゃんが亡くなったとき、洗濯物や家族の衣類カゴを移動するのが大変だったとブツブツ言っていたので、旦那は、真っ先に洗濯物や衣類カゴを移動させていました。その頃と違うのは、物が少なくなったことです。
あたりまえですが物が少なければ片付けも簡単で葬儀も回数を重ねると慣れるわけではありませんが、家族もどのように動くべきか役割分担が自然にできたように思います。
余命宣告されていたこともあり通夜や葬儀がある前提で生活をしていたので3年前のパニクり度とは全然違いました。GW中 知り合いと「終活」について語りあっていたこともあり家の中の不用品(鍋やハンガーや洗濯バサミ)も処分していたことも良かったのだと思います。
不用品コーナーのゴミをこまめに処分すればよかった
・・通夜の日が「燃えないゴミ」の日だったんですよね。
燃えないゴミを出しにいけず、先月の「燃えないゴミ」も旦那が怠けて持っていってなかったので不用品コーナーにゴミが溜まっていたことだけが失敗でした。
近所の方が台所に入られるので台所の整理整頓、カーテンの新調、礼服の新調。
余命宣告されていたので時間をかけて、家の中を整えてきましたが通夜葬儀は突然です。
毎日の暮らしを整える、いつでも整った家にしておくことは大事だなと感じました。
旦那は、まとめてドーンと捨てにいくタイプ。いつ葬式があるか分からないので、こまめに捨ててもらいたかったなぁ