家の中も外周りも毎日少しずつ片付いています。爺さんのやる気スイッチが入ってから物がどんどん少なくなっています。ゴミは、産業廃棄物処理施設やリサイクル施設に運び込んでいます。新築で家を建てたころから20年が経過し20年分の溜まりに溜まったゴミの山を一気に片付けているためゴミ処理にかける時間とお金と体力は、けっこうなものです。
今は、年金暮らしだけど昨年まで働いていたため蓄えもありゴミを処分するためのお金も負担してもらっていますが、年金だけの暮らしだったらゴミを捨てるのにもお金がかかり片付けに躊躇するというのもわからないでもありません。写真を整理しながら思ったんだけど汚家や汚屋敷になる原因って・・もしかしたら老人と同居しているからなんだろうか?と思うわけです。
「置きっぱなしにしている物は、誰のもの?」「置くのは、良いけどこの場所で必要なものなの?」と確認したところ「捨てるもの」「残すもの」を分類して片付け始めました。10分後には、この状態。
あああ!やれば出来るんだね!と子どもを見守る母のような気持ちになってきました。この長靴と椅子は、必要なの?と聞いたらオジサンが長靴を履く時、椅子が必要とのことだったので椅子と長靴だけ残しました。
こういう写真を見ると今まで片付けられない。なんだか汚い汚家だったのは、高齢者(老人)と同居しているせいなのかしら?と思うわけです。この際、誰が汚したとか誰が片付けられない・・というのはどうでもいいわけで・・高齢者(老人)と同居していると知らずしらずのうちに散らかってしまう・・散らかっていても毎日のことだと見慣れてしまってキレイにしなきゃという感覚が薄れてしまう・・高齢者は、孤独感を深めて物を溜め込んでしまうそうですがお片付けをはじめてからというものの、毎日毎日ゴミの片付けの話ばかりしています。
物を捨てていく行為は、物が少ない時代を生きてきた高齢者にとって痛みを伴うものです。本人の「気付き」がない限り難しいことです。うちの場合、物は捨てられないに加えて物を作るのが好きだった性格が災いして今になって片付けに追われています。だけど毎日爺さんと家の周りを歩いて「ここなんか汚くない?」と言いながらあっちの台をこっちに持ってきてココに収納しようとか、この箪笥は、もういらない・・箪笥を大型ゴミに出したら広くなったとかそんなことを話してる時間が楽しくて仕方がありません。近所の人から見ても「汚屋敷」だったようで「家が明るくなったね」と言ってもらえたことで爺さんのやる気スイッチは、ずっとONのままです。
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