昭和13年生まれのうちの爺さん。戦後生まれは逞しいです!何でも自分で作ろうとしますもんね。
爺さんと家の片付けをしていたら、突然「すのこ作ろうかな」と言い始めました。「そうね、生きているうちに頼むよ」と軽くいったら、あっというまに押入れすのこが出来ていました。
目次
爺さんが作った「押入れ用のすのこ」
写真は爺さんが作った押入れ用のすのこ。
押入れすのこは、正しい向きで入れないと風通しが悪くなるみたいですよ。
すのこに方向があることなど私は知らずにいましたけど。笑。
自分が作った物をブログのネタに写真を撮っていると とても嬉しいそう。
爺さんは、私に褒められ気を良くしたようで客布団を入れている客間の押入れ用すのこを作った後、コタツ布団が入っている奥の部屋の押入れすのこも作っていました。
さらに座布団60枚が入っている廊下の押入れのすのこを作って設置。爺さんスゴイ!
爺さんが、押入れ用すのこを作ったのは苦い出来事があったからです。
通夜のあと泊まってもらえなかった出来事
100才のばあちゃん(爺さんの母親)が亡くなり通夜が終わり遠方から来た高齢の親戚に泊まってもらうことができなかったのです。空いた部屋が無かった荷物を移動させる場所も無かった・・押入れに入っている古い布団を乾かす時間もなかった!(カビ臭そ~)
限界集落のような田舎なので宿泊施設もありませんし。下呂温泉まで送迎するのは難しい状況でした。
家の中を片付けていないといざというとき困るんだね。思い知らされたよ!
以来、我が家では「葬儀がいつあっても良いように」が口癖になりあらゆる場所の物を減らしていきました。
押入れの物を総取り替え
古い布団、枕、シーツ、座布団、こたつ布団を処分して新しく買い求めました。
すべては「いざというとき慌てないため」です。
古い布団が入っているときは押入れはかび臭いものと諦めていたけど、真新しい布団を入れる段階で押入れの湿気が気になるという・・笑。
日々の心構えと暮らし
いずれにしても家族が亡くなると葬儀屋さんに来てもらい近隣や親類の人がおまいりにきてくださるので日常とは違ったものになりますがいざというとき慌てないために、日々心構えをして暮らしているのと、そうではないのとではまったく心情が異なります。
家族の中では「終活」はタブーではなく当たり前のように話題になります。
我が家は7人家族で私と旦那は50代。オジサン2人は70代、爺さんは80代。と皆が高齢なので余計ですけど。
介護に明け暮れ片付けどころではなかった
片付けが苦手だったので、介護が大変で片付けができなかった!とイイワケで乗り切るつもりでしたが、浅はかな考えでして・・介護に明け暮れていたのは事実でも実際片付いていなかったら「あそこの嫁は」という話になり恥ずかしい思いをするのは自分なんですね。
私は、もちろん掃除婦でも家政婦でもありませんが田舎はそういう古い考えの人ばかり。
当時は、初めての介護に慣れておらず一生懸命頑張り過ぎたというのもありますが片付けまで手が回りませんでした。
余命宣告を受けていても介護と同時進行の片付けの難しさ
余命宣告を受けていたのに介護と同時進行で家を片付けていくのは当時の私には難しかったのは、今より物が溢れていたからで「どこから片付けたら良い?」という状態でしたもん。
4時間おきにおむつ交換。離乳食のように細かく調理した食事を作る日々。
今は、コロナで通夜も葬儀も縮小傾向なので状況が異なりますけどね。
亡くなってからが大変!一睡もせずに片付けた
年を越せないことも医師から聞いており、100才という高齢で長生き出来るはずもなかったのですが
亡くなった後が大変でした。
病院で看取りをしてもらい死亡診断書を書いてもらっている間、私は家で一睡もすることなく荷物の移動と片付けに追われていました。とにかく亡くなったあとの大変なこと大変なこと!
常日頃から片付けておかないと「いざというとき」慌てふためく経験は私の中で強烈にインプットされました。
何が起こるか分からないのが人生
話が前後しますが、婆ちゃんの心臓は、高いエベレストの山頂にいるくらい空気(酸素)が取り込めないような状態になっており医師の説明によると若い人だったら「苦しい」と思うことでも、じわじわと山頂に登っているので、本人は息苦しさを、さほど感じていないだろうとのこと。
でも前の月までピンピンしていたんですよ!!
だから、100歳という高齢なのに120歳ぐらいまで生きてそうだなって真面目に思っていましたもん。
子ども、年寄り、男、女、年齢、関係なく・・自分も含めて家族はいつか死ぬということ
病院で医療行為を続けたとしてももうやれることは、何もなく薬を飲み続けても治ることはない、病院での食事はほとんど食べていないということ。入院を続けても良くはならないこと。
私が「ディサービスを利用できるように手続きを・・」と言いかけたところで、手続きして(要介護)(要支援)の通知結果が届くまで持たないだろうと。
ずっと家に帰りたがっていた気持ちを思い家に連れて帰る覚悟を決めたのですが、亡くなるまでの1ヶ月はいつ終わるとも分からないゴールに向かっているかんじでしたね。
少し状態が良い日もあったし話もできたので、このまま年を超すのではないかと思っていた時期もあったほどです。
「死ぬ」ことを意識して生きていく
「死ぬ」ことを意識して生きていくということは悲壮感でも何でも無いんですね。どんな順番かも分からないし交通事故かもしれないしコロナの感染がきっかけかもしれないし。
もちろん長生きはしたいけれど、ウィズコロナの時代だからこそ「予期せぬ」ことは誰の身にもふりかかります。そういう「死」に対する意識を持って日々生きていくのは大事なことなのでしょうね。
爺さんすげ~!はやわざ!