渡部亜矢さんの「実家の片づけパーフェクトBOOK 」を読みました。そういえば、実家も物で溢れています。母は、心配性で基本やさしい性格。細かいところにも気がまわります。歯ブラシを忘れたといえば出て来るし帰省するたび気を使ってくれます。でも・・コレ捨てれば良いのに、と思うし捨てても良いのにと思うものに限って残していたりします。嫁ぎ先と実家の片付けは、嫁だから良い距離感を持ってスムーズにすすめられること、娘だから言い出せないことなど微妙な問題が山積みです。
物が捨てられない焼け跡世代・戦中生まれ世代(親の年齢)
実家の父親と義父は1935年~1939年生まれの焼け跡世代です。焼け跡世代は、幼少期を戦中・戦後を過ごしており、食糧難や経済的困窮を経験しているため「捨てる」ことに抵抗があります。実家の母親と義母は、1941年~1946年生まれの戦中生まれ世代です。戦後の混乱期に幼少期を過ごしています。
- 実家の母親の年齢=1942年 昭和17年 74歳
- 実家の父親の年齢=1939年 昭和14年77歳
- 義母の年齢=1941年 昭和16年75歳
- 義父の年齢=1938年 昭和13年78歳
- 私の年齢=1969年 昭和44年47歳
- 夫の年齢=1967年 昭和42年49歳
- 長女の年齢=1997年 平成9年19歳
- 長男の年齢=2001年 平成13年16歳
- 次男の年齢=2004年 平成16年12歳
お金をパーッと使うバブル世代
バブル世代は、金銭感覚がズレている人が多いのは、高いものブランドこそがステータスみたいなところがあります。
そういう時代だから仕方ないのだけどちなみにバブル世代の男女は、肉食系だし今も変わらず肉食系だと思います。笑。
私や夫は、1965年~1969年に生まれたバブル世代。子供の頃は、ゲイラカイト(凧)を飛ばしスライムが流行りました。男の子は、宇宙戦艦ヤマトやガンダムに夢中でインベーダーゲームが流行りました。女の子は、リカちゃん人形やモンチッチが流行りみんながみんな、ルービックキューブをいかに早く揃えられるかに夢中になりました。高度成長期後半に誕生した私たちが就職したのが、バブル期後半。バブリーな時代で食事も飲み会も男性が全額支払ってくれたしそれが当然だと思っていました。
長女と長男は、ゆとり世代。決められたルールは守る、現実的で踏まれ弱い、失敗を恐れて羽目をはずさない、草食系。次男は、脱ゆとり世代(さとり世代)なので物心付いた頃から不景気で消費しない絶食系。
世代によって物の価値観がまるで違う
世代によって物の価値感は、異なります。我が家の場合、長男である旦那と義父は、会話をほとんどしません。捨てれば良いのにと思っているだけで言い出さないし義父も捨てなければいけないと思っていても「勿体無い精神」が先立ち捨てられずにいたりいます。私は、間に入って対話をしながら納得してもらいお片付けをしていますが、男・女の性別や性格や相性などもあるので実の子供だから聞き入れられない、嫁だから逆にうまく行くこともあるような気がします。本で片付けの順序が紹介してありました。確かにこの方法だと1番片付けやすいし実際に片付けを進めた私の事例も紹介させていただきます。
実家の片づけ順序例「実家の片づけパーフェクトBOOK 」(引用)
- 外玄関・庭
- 内玄関
- 廊下・階段・トイレ
- 低いところ(各部屋の床)
- 高いところ(食器棚や箪笥の上など)
- キッチン(食品・調理器具・食器)
- リビング(薬・日用小物)
- 寝室(枕元)
- クローゼット(服・バッグ)
- 押入れ納戸(客座布団や座布団など)
- 本・レコード、CD、趣味の物
- 書類・貴重品
- 思い出の品(写真・トロフィーなど)
実際に我が家で行った片付けなど
- 庭の雑草対策でアスファルト舗装(費用32万円)
- 曽祖母が亡くなる前(仏壇周りの掃除)
- 曽祖母が亡くなった日(1階の荷物を2階に移動、当時は、溢れるような物だらけでものすごく通夜や葬儀で親戚やご近所さんが来られるので精神的な外圧もありかなり大変だった!!)
- 曽祖母の初七日、通夜と葬儀の間は、必要なお盆や銘々皿・菓子器などが見つからずパニクる。認知症の義母は、物のありかがまるでわかっていなかった!!初七日に必要なお盆・銘々皿・菓子器をAmazonで取り寄せる。ご近所さんがお見えになるので対応に追われる(とある程度見られる程度に部屋を整えておかなければいけなかった)
- 曽祖母の四十九日法要前、仏壇周りに必要な木魚などを購入、(初七日法要から四十九日法要までは、時間的余裕があったので必要なものを買い足したりできた)縁側に敷くマットを購入、2万円くらい。古い座布団40枚を大型ゴミに出す、20枚は、普段使いに残し座布団カバーを新しく買い替えた。新しい座布団を60枚購入(5万円?)。実際に四十九日法要で必要だった座布団は45枚程。全部柄が揃っていてよかった。四十九日の準備をしつつ故人の遺品整理をする。本来なら四十九日が終わってから遺品整理をすすめるのが一般的、このころ義母の認知症が判明。(症状は、曽祖母が亡くなる前からあった)我が家では、初七日法要から四十九日法要の間に衣類や着物などの遺品整理を行っている。役場や農協・郵便局・信用組合などに出向き手続きを行う。年金証書だけ見つからなかったが、故人が大事な物をひとまとめにしてくれていたので非常に助かった。四十九日法要が無事終了。の翌日に義父が心筋梗塞で倒れしまい遺品整理は、一旦中断。故人が使っていた箪笥や布団などを大型ゴミに出す。大型のこたつやこたつ布団を購入(葬儀費用120万円・四十九日法要や引き出物など50万円、あとよく覚えていないけどお金がかかったw)
- 義父退院。義母近い場所にトイレがある曽祖母の部屋で暮らしはじめる→部屋の襖が汚れていたので張り替える
- 義母がトイレの水を流さないため他の家族から文句がでてトイレを自動洗浄にする(10万円くらい)
- 1階義母のいた部屋の押入れの整理(古い布団をお片付けする)大型ゴミを出すついでがあったので2階の自分たちの寝室の押入れも整理(赤ちゃん布団や古い布団をお片付けする)古いアルバムなどを発見する
葬儀や法要などを経験し脱!汚部屋を目指そうと思った
葬儀や法要がなかったら、私はずっと汚部屋に住み続けたことでしょう。片付けられないのは、ずぼらな性格だから仕方ないとあきらめていた私。部屋の整理整頓ができていないと困るのは、自分だと痛感しました。人生初!!お片付けリバウンドはしていません。親戚やご近所さんの精神的外圧もありましたが今は、住み心地が良い我が家に変身しつつあります。時間がかかっても遅まきながらもお片付けに目覚めてよかったです。ここからは、さらに片付けた場所や物についてです。
- 2階の部屋に置いていた防災グッズ。防災訓練を機に見直すことにした(部屋の物を片付けたことで何もない部屋の快適さを経験)
- キッチンの水切りラック・ザル・鍋をお片付け、物を減らしたら雑貨が可愛く見えることに感動した
- キッチン、ストック食品(在庫)を食べて減らす。賞味期限切れていたけど大丈夫だったwストック食品の適正量を決める(多すぎると在庫管理ができなくなるので入れ物に入るだけにす決めた)
- キッチンのスプレーを重曹や酢水スプレーに変える。(手荒れがなくなった)
- トイレの汚物入れを新しく購入
- デスクトップの整理整頓
- マイピクチャの整理整頓
- PC(パソコン)周りの資料の山をお片付けする、何日も何回も。
- PC(パソコン)デスクが入った押入れの改造
- PC(パソコン)デスクが入った押入れの物を取り出し不用品をお片付けする(押入れのものって相当大変でめまいがした)
- PC(パソコン)デスクが入った押入れのウォールシートを貼る
- パソコンのホコリが気になり電動ブロワーを購入。
- PC(パソコン)周りの配線ケーブルを見直す。
- 2階寝室の襖を張り替える
- 思い出の写真や物の整理整頓
- キッチンコーナーラック(収納棚)をお片付け
- キッチン食器棚を整理整頓
- 1階客間の襖を3枚張り替える(アサヒペンのシールタイプの襖紙が簡単で良かった)
- 1階の襖を張り替える(8枚予定)(アサヒペンのシールタイプの襖紙は簡単で良いけれど値段は高い
最初は、通夜や葬儀のために一時的に物を移動させただけの私、後半は、住みよさや快適な住空間を目指したことでリバウンドすることなくお片付けが続いています。まだまだ直したり改造したりすることで居心地の良い空間作りは、続いていきます。
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