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収納の極意は、7・5・1の法則
やましたひでこさんの断捨離本を読んだとき衝撃を受けたのが、7・5・1の法則。
収納の量に関する極意で押し入れやクローゼット、引き出しの中など見えない場所は7割収納。ガラス棚や食器棚など見える場所は5割収納。飾りものなど見せる場所は1割収納を心がけるとスッキリして見えるというものです。
押し入れの中は、7割収納
我が家全体の総重量は、以前と比べるとかなり減りました。
押入れは戸と閉めれば見えない場所なので都合が良いんですよね。でもある意味ブラックホール。引き出しや押し入れの中は魔窟になりやすいのでとにかく時間を見つけて整理整頓しないとダメですね。
意識をしないとすぐ放り込んでしまい物が増えてしまうから。笑。隠れるしちょうど良いんですよね?我が家の押入れは、大きさが異なるのですが
違うのですが、収納スペースに目的を持たせるようにしています。
葬儀用品の収納場所を決める
葬儀用品は、縁側の押し入れを収納場所にしています。婆さんが、この家を仕切っていたときは、2階の屋根裏部屋や倉庫にも葬儀のものを押し込んでいたので、動線が悪いばかりか家族も把握できませんでした。
でも婆さんの認知症や癌が分かってからは、1階の仏間押入れには葬儀関連のものだけを入れるようにしました。
葬儀のものだけを入れたの家族にも周知徹底できた♪
葬儀用品が入った押入れの整理整頓
家族にも「ここに葬儀のものが入ってる」ことを理解させるにいたった私ですが、心配性の爺さん色々持ち込むんですよね。ノート数冊、鉛筆数本、空箱。
過去の葬儀記録(香典帳)などは残しておかないといけませんが一旦葬儀用品を取り出して整理整頓しました。
不要な物を捨て、使用頻度によって置き場所を変えて7割収納を意識します。
- 過去の葬儀帳をひとまとめにする。25年前と50年前の葬儀記録が入っていた。捨てるタイミングは、孫の代まで保管しておけばOK。
- 以前は、頻繁に見るのは直近の100才で亡くなったおばあちゃんの葬儀記録と香典帳だった。今は婆さんの葬儀記録を見ることが多いけど、直近の2つは保管しておかないといけないと痛感。
- よく使うものやよく見るものを手前に置く。上の段には、めったに見ないものを保管する。
- 香典帳のほかに香典袋も保管(中身は入ってない)、通夜の前、葬儀のときに持っていく袋が、地域によって違うので確認用。縮小コピーしておけば良いんですけど現物のほうが何かと安心。
水色のダンボールを黒い箱にしたら、葬儀用品ぽいかな。
色を使いすぎない
続いて2年後の2020年頃の様子です。水色のダンボールを100円ショップで買った黒い箱にしたときに写したものですが、必要な物を買い足したので収納量が増えています。
夏用座布団も私の記憶では20年ぐらい使っていない気が・・弔問客は女性が多いですし、畳みたいな座布団ストッキングが引っかかりそうで敬遠していたんですよね。これを機に捨てないと!
新たに買い足した「数珠掛け」、「高齢者用の椅子2脚」、「仏壇用の敷物」、「供え物用のお盆2枚」を収納。
葬儀のものって一回に準備すると結構な金額になるので、折にふれて1つ1つ購入しています。
でも常に整理整頓していないと買ったはずだけど、どこだっけ?となって買い揃えても肝心なときに出番があらわれないんですよね。
記憶より記録
香典帳(葬儀記録)や記録ファイルには、写真や手書きの文字、イラストで記録。忘れやすいので「どうだったけ」と悩まなくても良いので記憶より記録することを意識しています。
画像検索したら黒いネクタイ、黒い靴下、黒いハンカチをセットしておられる人がいました。
]あんたさ~数珠とかどこにあるか分かってる?
2階じゃないの??
あんたさ~私がいなかったら数珠のありかも分からないってヤバイんじゃないの??
数珠は、数年前まで2階に置いており→2階からピアノの上→そして今の葬儀用品コーナーに移動してきたのですが自分が移動させても家族は繰り返し行動しないと覚えてくれないものなんですね。
しかし最近は、仏具用品が入ってる押入れに数珠を取りにいくようになったので教育の賜物かな。一度決めた場所から移動するときは、繰り返し行動しないと覚えられないものだと思いました。
自分用葬儀グッズは、クローゼットに移動
最初は葬儀用品と一緒に私の黒ストッキング、黒バッグ、数珠,風呂敷を一緒に入れていました。
葬儀関係には違いないのですが・・自分の礼服を置いているクローゼットに移動させました。着替える場所を考えるとクローゼットのほうが都合が良いですからね。
黒ストッキングは、コンビニいけば、すぐに買えますがギリギリで慌てる人なので買い置きしています。
最初、移動したばかりの頃は、どこに置いたか思い出せなかった~~
家族が死ぬこと
婆さんの大腸癌が肝臓に転移したことが判明し家族で話し合いをする中で、積極的な治療を行わないことにしました。この記事を書いていた半年後に婆さんは亡くなりました。でも本人は病気とは思っていなかったので本当に亡くなる直前まで元気に過ごしていました。
家族間では、方針を決めたものの婆さんの弟さん妹さんたちにも立ち会ってもらい主治医の先生から説明をしてもらう機会ももうけました。
婆さんと「血」がつながっていない私は、冷静かつドライな気持ちで説明を聞いていました。もし自分の旦那だったら、母親だったら、兄弟だったら、子供だったら・・と想像すると、やはり血のつながった身内には「情」があります。
「なんとか苦しまない方法は?」「漢方医学で癌が消えることは無いんですか」「占いでなんとかならないか」(w)と先生に質問をしまくっていました。
看護師資格を持つ妹さんは主治医に失礼が無いように持参したメモを見ながら質問をしてました。先生は、誠実に答えられ最終的に皆が納得する形で、おそらく病院が嫌いだった婆さんにとって選択は間違っていなかったと思います。
その日は、来る
終わりが無いと嘆いていた介護生活は、大変で心落ち着く暇もありませんでした。ですが実際亡くなると、子供の成長を見守ってきた人が居なくなってしまった寂しさが募ります。
嫁に来たばかりのときは、大変な思いをしましたが、亡くなってからは良いことしか思い出さないので良かったんだと思います。遅かれ早かれいつかは「その日」は来るし、いつも「病気」や「死」が近くにあった我が家にとっては、(ある日突然)では無かったので余命宣告されて・・ゆっくり準備が出来たのは、良かったのかもしれません。
絶対に「その日」は来ます。元気だった爺さんも年老いてきました。随分前と比べると、総量は減った我が家ですが・・いつ「その日」を迎えたとしても家中、整えておくことが今の私の課題です。